1995年に公開された作品ながら、
未だにこれほどの衝撃と胸くそ悪さを感じた映画を
私は知りません。
まさに最悪の結末。
しかし繰り返し観てしまうほど惹き込まれる。
そんな映画「セブン」の魅力について書いていこうと思います。
ある日、殺人事件が発生。
定年退職間近の刑事サマセット。
殺害現場の捜査に訪れていたところに、
新入りの刑事、ミルズが登場。
2人で初めて担当することになった事件は、
太った男がスパゲティに顔を埋めたまま
死んでいるという現場だった。
サマセットは、この事件を
連続性のある奥深いものであると推察するが、
署はそれを否定し、 深く考えるなと諭すのである。
一方ミルズは、次なる事件を担当していた。
ある有名な弁護士の殺人事件であったが、
その現場には「GREED」という血文字が残されていた。
サマセットは、
肥満男の事件から身を引こうと考えていたが、
男の胃袋から取り出された
プラスチック片をもとに再度現場に向かう。
その現場からは「GLUTTONY」という文字が。
これらの文字から、
2つの事件が7つの大罪に関連するものであり、
今後の事件が続くことを確信したサマセットと
ミルズは、事件を追い続けていくのである。
人々の無関心と街の鬱屈さ
冒頭部分から、
この映画のテーマを象徴するようなシーンがある。
とある殺人事件の現場。
夫婦喧嘩によって夫が妻から殺害された。
事件は単純で、すでに解決済み。
しかしサマセットは、
壁のコルクボードを眺め、問う。
「子どもは現場を見たのか?」と。
対して同僚は
「子どもの心配は仕事じゃない」と返す。
余計なことや他人のことには
無闇に関わらずに生きていく街の住人の
象徴となるシーンである。
そこに新入り刑事のミルズが登場する。
「活躍したい」と話すミルズに、
危うさを感じるサマセットは、
「(自分が引退するまでの) 7日間は何もするな」と指示。
その日の夜、男の大声、車のブレーキ音、犬の鳴き声…
そんな喧騒を搔き消すように
サマセットはメトロノームを動かし眠りにつく。
(或いはメトロノームのリズムのように喧騒すら
淡々と流れる時間の一部ということなのかもしれない)
つまり、
サマセット自身も「無関心」な住人の1人なのだ。
この無関心であるということは、
現代に生きる私たちにとっても
ハッとさせられる人も多いはず。
例えば街中で人が倒れている。
それは
可愛い女の子ではなく、子どもでもなく、
酒の臭いを漂わせた男性だったなら、
見て見ぬふりしませんか?
都会に降る雨
劇中では、雨の降っているシーンが続く。
雨は人々の鬱屈と、
閉塞された感情を効果的に連想させるのだろう。
さらにこの映画は、
銀残しという手法を用いて彩度を
低くして作られているため、より一層
ダークで重苦しい映画体験ができるようになっている。
犯行の動機
7つの大罪になぞらえた一連の犯行は、
ジョン・ドゥ
(日本でいう名無しの権兵衛だそう)
という人物の犯行だった。
ジョンは、
罪ある者に神の裁きを行ったと言う。
またそれは、
普通に暮らす人々への裁きでもあると言う。
罪ある者を見て見ぬふりで
やり過ごす人々が、
この一連の「裁き」によって
今後それができなくなると言うのだ。
これに対し、
貴方は反論できますか?
もちろん
「殺人はダメだ」という反論はできる。
ただ、もしジョンの言うように、
この犯行によって世間の人々の見て見ぬふり、
「無関心」 を変える方法は他に何がある。
私はその答えの一つが、
この映画「セブン」だったのではないかと考える。
人を1人も殺さずに観る者の心を
揺さぶったわけだからね。
(劇中では7人死んじゃったけど)
そもそも私は、無関心が罪だとしても、
それは生き抜く術の一つだと思っている。
いつの世も、人は自分や自分の大切な人が
生きていくだけで精一杯なのだ。
街で苦しんでいたり悪さしてる人がいて、
自身のリスクを取って
すぐに行動できる人がどれほどいるのか。
自分の街だけではない。
地球の裏側で苦しむ幼き子のことを
四六時中考えていられる人が何処にいる?
それこそ人は神ではないのだから。
それでも、関心を示すこと、
知ることが大切なのは変わらないけどね。
衝撃の結末、黒幕はまさかの…
誰もが予想だにしなかった
救いようのない最低最悪のバッドエンド。
何度もこの映画を見返している私でさえ、
劇中で奥さんの笑顔、寂しそうな表情を
見るたびに胸が痛くなる。
(どんだけ感情移入…)
最後にミルズが憤怒(WRATH)し、
嫉妬(ENVY)したジョンを殺すことで
ジョンの計画は達成 するのであるが…
いや奥さん罪ないやん!
ジョン、勝手に、
無理くり嫉妬してるだけやん!と
猛烈に突っ込んでしまう感情を
私は禁じ得ない。
(ここに来て私のメンタル崩壊)
しかし、この結末をジョンは
「変更した」ものだと述べている。
途中までは全て筋書き通りに
物事を進めていたジョンであったが、
家を特定され、ギリギリまで
自分を追い込んだ刑事たちのことを
徹底的に調べるうちに、
やはりジョンの家庭に
嫉妬してしまったと言うことなのだろう。
(家を特定されたことは
筋書き通りでなかったようで、
ジョンも反論していない。)
にしても奥さんかわいそすぎ…
ただ、言わずもがな、
このえげつない結末であったからこそ、
映画「セブン」は今なお人々の心に強く残り、
その役割(人々の無関心への働きかけ)を
果たしているのであり、
その意味では大正解だったのだろう…(辛い)
ここまで、映画「セブン」についての
レビューを書かせていただきました。
2019年となった今からは
もう24年も前の映画となりましたが、
やはりこの映画がサスペンス映画の
レジェンド的作品として君臨しているのは、
人々の心に訴えかける脚本、
出演者の見事な演技、
そして徹底的に作り込まれた
世界観があってのことだと思います。
演技に関して言えば、
モーガン・フリーマンや
ブラッド・ピッドの演技も素晴らしいのですが、
やはり私は奥さん役の
グウィネス・パルトローの苦悩や
儚さの演技に心を打たれまし た。
最期辛いし…
ちなみに
グウィネス・パルトローさん、
後にアカデミー賞受賞したり、
ブラピと付き合ったり、
女優人生は謳歌されているようですね
また、映画「セブン」が好きな方は
「ブラックスワン」や
「ドラゴンタトゥーの女」などの映画も
チェックしてみてください!
また一味違う「怖さ」を体験できるでしょう!
作り込まれた世界観、、入り込みたいと心底思いました