文学が社会を変える!!「直木賞」が映し出す日本社会

 

直木賞の選考対象となる大衆文学には、
エンターテインメント性という
特徴の他に大衆文化や大衆の心理を
映し出しているという
特徴も持ち合わせています。

良質な大衆文学作品は、
作品の読み手である一般民衆に対して、
作品が彼らに受け入れられやすいように
大衆文化をうまく取り入れていることが多いのです。

また、大衆文化だけでなく
大衆の心理がうまく表現されていることも、
受け入れられる作品となる条件でもあります。

この、良い大衆文学の
条件から見ていくと、
作品はその時代を写している
可能性が見えて来るでしょう。

時代を映しているということは、
時代と共に変化している、
とも言えるのです。

例えば、過去の受賞作品を見ていくと、
それらには戦争体験や、
日本の国家を題材とした作品、
政治的な観点を作品に
落とし込んでいるものが多く見られます。

これらの作品は、主に戦後から
高度経済成長期にかけての作品です。

その時代背景を見てみると、
確かに戦争体験者も多く、

今よりもっと
日本という国家に対して、
国民の多くがある程度の
関心を寄せていた時代でもあります。

また、戦後~高度経済成長期は、
学生運動という社会のシステムに
対して異を唱える人々が
多くいた時代でもありました。

つまり、世論全体が社会的主張、
国家に関する関心に重きを置いていたのです。

そんな時代背景だったからこそ、
受賞作品に大衆の心理が見事に捉えられて、
受賞作に選ばれたのでしょう。

大衆心理と文学

そもそも、文学は
人の心を表現したものです。

作家も読者も同じ社会に
住んでいる一員のため、

社会の状況が作品に影響を与えて、
その影響を与えられた作品を、
同じ影響を受けている人が
すんなり受け入れるのは当然といえます。

別の見方をすると、
文学は意思を伝えるものですから、
広告塔になりえます。

文学が時代ににある程度
影響を与えていると考えることも
出来るのではないでしょうか。

すべての芸術に言えることですが、
多くの人に向けて発信するものには、
必ず作者が届けたい意思が存在しています。

求心力がある作品ほど、
作者の意思が強いものです。

ブログの記事なんかもそうですよね?

どこかの情報をコピーして
きただけのものは、ありきたりだし、

書いている人の温度が感じられず、
無味無臭な感じがしてつまらないです。

これでは、人の心には届きません。

この意思を伝える力は、
使い方によってよくも悪くも
社会を変えることが出来てしまいます。

プロパガンダってご存知ですか?

社会の教科書で見たことがある人も
いるかと思いますが、

よく分からないという人が多いでしょう。

プロパガンダとは、雑誌やメディア、
ポスターに広告など、
情報を発信する媒体を使って、
特定の考え方や意見、
行動を多くの人に刷り込んで、

同じような考え方で
世論を統制していくことです。

プロパガンダは戦時中に
最も用いられていました。

当時は、国民全員を戦争を
肯定するように意識を揃えなければなりません。

戦争に勝たなければ
なりませんから、当然ですよね。

「国民全員の意見を揃える」

よく考えたら怖いことですよ、これ。

みんな同じ考えを持って、
同じように行動している
状況を想像してください。

そして皆が持っている考え、
同じようにしている行動は
誰かが作り出して、
意図してばらまかれたものです。

この「皆が持っている考え」

「皆がとっている行動」は
個人が考えたものといえるでしょうか?

違いますよね。

誰かが作って、
誰かが発信した考えであって、
受け取り手が自分の頭で、
意思で作り出したものではありません。

この状況に違和感を抱いていれば、
まだ救いはあります。

しかし、なんの疑問も持たずに
他人からの意見を鵜呑みにしている
状況は、洗脳されている

といっても過言ではないのです。

プロパガンダに用いられる物は、
メディアだけではありません。

文学もプロパガンダに
利用されることがあります。

戦時中の戦争を推奨する小説は、
国民の意見を戦争肯定派へと
推し進めるための道具でもあったのです。

当時は戦争小説と呼ばれ、
高い人気を誇っていました。

小説を読んで、日本は勝てる!とか
戦争に赴く人は英雄だ!とか、

戦争に対してプラスな
イメージを伝えていったのです。

文学は時代の流れを写します。

作家がその時代を切り取って、
自分の世界に組み込んでいくことで、
作品に時代が反映されるのでしょう。

けれども、作家が意図して、
その時代の大衆に向けて
意思を投げかけた場合、

時に作品が人々の意識を
変えることがあります。

時折、ベストセラーが
社会現象を引き起こすことがあります。

この状況は正に、文学が
社会に影響を与えて
人々の行動を規定した瞬間なのです。

このことから、
文学は時代を映すだけでなく、
影響を与えているとも
考えられるのではないでしょうか。

女性の社会進出と直木賞

時代の変化が与える影響は、
小説の作風だけではありません。

直木賞の選考委員会にも、
時代の影響を受けている痕跡があります。

かつて、文学界も男性中心でした。

直木賞が創設された1935年当時は、
文学界は完全な男性社会で
女性作家は数えるほどしかいなかったのです。

「女に文章が書けるか!」
とまで言われていました。

今の時代でこんなこと言われたら、
無言でパソコンを振りかざして
ぶん殴っても許されるでしょう。

どの時代でもダメか。
心の中でフルボッコにしておきます。

そんなわけで、選考委員も
長く男性のみで構成されていました。

1935年からそのあと50年にわたって、
女性の選考委員が現れない程です。

50年後、1985年付近で何があったのでしょうか。

男女共同参画社会基本法という
女性の社会進出を後押しする
法律が制定されたり、

1980年ごろには、
国連で女性に対するあらゆる差別の
撤廃をするための条約が作られたり、

日本のみならず世界的に女性の権利が
社会全体に認める行動が目立ってきました。

しかし、女性の権利に関する意識は、
世界的に見たら日本は大変遅れています。

1980年でようやく、
国を挙げて取り組みだしたのです。

社会全体が少しずつではありましたが、
女性社会進出を後押しする
方向性にシフトしていったのでした。

この流れは文学界にも現れます。

50年間、
女性の選考委員がいなかった直木賞、芥川賞の
選考委員に女性作家が加わったのです。

1987年の第97回で平岩弓枝さん、
田辺聖子さんという女性作家が
選考委員に就任しました。

女性作家のノミネートも年々増え、
ついに2019年、候補者が
全員女性という結果になったのです。

作品のノミネートの理由は当然、
作品が賞を取るに値する
素晴らしいものだからですが、

過去の女性というだけで選考対象から
外されてしまっていた時代を考えると、
大きく変化したものだと思います。

ただ、いくつかの違和感があります。

80年以上行われている賞なのに、
今年が初かよ!!という点。

ここまで女性が揃ったからって
こんなに騒ぐことかね?という点などなど。

確かに、女性がここまで揃ったのは
初!今までの歴史ではあり得ない!

ということで話題になるのは理解できます。

しかし、これが男性だったら
見向きもされないわけで、

むしろ女性が入っていない!
といってマイナスのイメージを
含んだ話題になりそうな気もします。

これはこれで、
男性に対して失礼ではないかと思うのです。

また、女性ばっかり!すごいね!
というのも受賞した作品に対する敬意に
欠けることではないでしょうか。

純粋に作品が面白いから
ノミネートされたのです。

評すべきは、女性だから
という点ではないでしょう。

でも今回の文学賞は作品のことより、

候補者がすべて女性で直木賞、
芥川賞共に女性が受賞した、

ということばかり取り沙汰さています。

女性を正しく評価するって
そういうことではないでしょうに。

ただ、男性が少し優遇されている、
という環境を変えるだけで良かったのです。

受賞するしないは本人の力量に
よるところでしかありません。

過剰に騒ぎ立てる現状は、
なんだか女性作家を下に
見ているのではないかと思ってしまいます。

本当の男女平等とは何でしょうか。

男だから、女だからと性別
という条件をつけて、

人を見ることをやめることだと、
私は思います。

本の内容だけが、
作家の人間性だけが話題になるような
時代になることを願うばかりです。

ラノベが隆盛を極めている今文学賞は今後どのように変化するか

現在、多くのライトノベルが
生まれ多くの人に読まれています。

一般的な文学作品よりも、
手軽に読めるライトノベルのほうが
人気が高いのが現状です。

特に若い人の間で、
この傾向は顕著に現れています。

直木賞は大衆小説を
選考対象にしてはいるけれども、

ライトノベルが
ノミネートされることはありません。

選考の母体となっている文藝春秋が
ライトノベルに詳しくないから、

と言われていますが、

ライトノベルを文学作品
というのはなんだか違和感があります。

ライトノベルは小説ではない、
とまでは言いませんが、

やはり文学とは
少し毛色が違うと感じるのです。

確かにライトノベルは面白いと思います。

私も全く読まないわけではありません。

「転生したらスライムだった件」は
普通に面白いと思いました。

少し前に流行った
「人類は衰退しました」
「キノの旅」などは大好きです。

しかし、現在流行っている
ライトノベルの中には、
文学というにはあまりに
低レベルなものも多く存在します。

ページの半分が擬音だったり、
物語の構成があまりに稚拙な
ご都合主義であったり、

読んだ感想は「こりゃあひどい」でした。

なぜこんなものが
受け入れられてしまうのか。
どうやら、読み手のレベルが
下がっていることが
要因としてあるようです。

みんな小難しい文章を
読みたくないんだそうですよ。

だから、
擬音しかないような絵本かよ!!と
いいたくなるものを面白い!
これぞ小説!と評価して読むのです。

どんな本を読もうと個人の勝手だと思いますが、
少しは重たいかっちりした文学作品に
触れてみることも大切ではないでしょうか。

本から学ぶことや、
気づかされることも多いですし、

本当に良質な作品は
ずっと心に残っていい影響を与えてくれます。

いい本はあなたの人生を潤してくれる、
よき相棒になれるのです。

あまりに程度の低い
本ばかりになってしまうと、
そのような本当に良質な本が
衰退していってしまいます。

もし、このまま低質な本ばかりになったら、
日本の文学の質が落ちてしまうのです。

そうなると、
日本語特有の言い回しや
日本語の美しさが活かしきれず、
日本語全体の質も
下がってしまうことでしょう。

日本語の良さが忘れられてしまうことは、
とても残念なことだと思いませんか?

一度忘れられてしまった言葉が蘇るのは、
大変に難しいことです。

忘れ去られたまま消えてしまう
言葉も少なくありません。

日本語の表現は、外国語に
訳せない情緒あるものが沢山あります。

日本にしかない、日本特有のもので、
日本人にしか分からない特別なものです。

そんな言葉たちは日本の財産でもあるでしょう。

言葉だけでなく、
日本文化にも同じことが言えます。

なんでもかんでも簡単にして、
効率化することが正義だとは思いません。

人間の心に由来する、文学は
絶対に単純化してはいけないのです。

効率よく感動を得る、私は
なんだかズルしている感じが否めません。

文学全体の質が落ちている、
といわれている昨今です。

一人でも多くの人が、
文学作品の良さに気づいて一冊でも多く、
誰かにとっての大切な一冊が
生まれればいいと思います。

直木賞、芥川賞は
そのような良質な本を
発信するツールになるように
変化していくべきでしょう。

だからこそ、女性作家が受賞!とかで
騒いでいる場合じゃないです。

一冊でも多くの本の魅力を
発信していくような場にしていくように
方向転換が求められます。

日本社会における文学の役割

なぜ文学は存在するのでしょうか?

もちろん、楽しむためというのが
根本的な理由だと考えられます。

しかし、文学の持つ役割は
娯楽だけではないでしょう。

日本社会において文学は、
高貴な方々の遊びだったり、
庶民の情報収集の糧であったり、
プロパガンダのツールにされたり

色々な役割を持たされてきました。

ちなみにこれは、日本社会に
限ったことではありません。

どこの国でも、文学は
同じような歴史を辿っているのです。

現代社会における役割はなんなのでしょう?

娯楽でもあるし、
情報発信のツールでもあります。

私が思うに、現在の役割は
多様な考え方の発信ではないでしょうか?

日本の現代社会では言論の自由、
表現の自由が保証されています。

これは、その人が何を思って、
どのように表現しても
自由であるというものです。

悪口とか、あまりに
下品なものはどうかと思いますけど。

人の数だけ考えがあり、
その多様な考えの中で何を発信しても、
何を受け取ってもよく、
人は多様化をさらに
広げることが可能となります。

今まで認められていなかった事が、
認められるようになったのは、
文学に自由が保証されたからです。

これからの文学に求められる役割は、
多様化をさらに広げ、
今ある差別や社会の問題点を
改善に導いていくことでなのしょう。

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