こんにちは、ロジャーです
今回は読者さんのお話をシェアします。
という方には必見のお話です。
では、ここからは読者さんのお話です。
文化研究者、猫と暮らす

皆さまどうもこんにちは。
突然ですが、動物はお好きですか?
わたしは好きです。
流石にムツゴロウ氏レベルにペロペロ
可愛がれるかと聞かれたら、NOですが。
けれども、犬、猫、ウサギにハムスターなど、
一般的にペットとカテゴライズされる
動物は見ていて癒されます。
かわいいネコちゃん画像なんて、
見ていたらニヤニヤが止まらなくなる
という人も多い事でしょう。
しかしながら正直な所、動物は
飼わなくても人間として生きていけます。
現代の人間ならば。
ですが、過去の人間はそうではなかった。
動物の能力を借りて、人間と共存することで
文化や社会を発展させてきた歴史的背景があります。
大学時代、文化や社会を研究していた私が、
そんな人間とペットの歴史や
共存に至った背景などをわかりやすくまとめました。
ただ、歴史の話っていうと
とっても難しく感じてしまうと思うので
この記事は、私と「癖の強い猫さま」との会話形式で
人間とペットの歴史をお伝えしていきます。
癖の強い猫様と、文化研究者である私の
会話を記して行こうと思います。
サクッと読めちゃうので
動物好きも、猫や犬を飼ってる方も
最後までお楽しみくださいませ。
猫が語るペットと人の歴史

Twitterやネット界隈なんかで、
猫は人の言葉が分かるのではないか、
という意見が散見されます。
そんなわけあるか!
と思っていたのですが、
どうやらこの言葉は偽らざる真実だった様です。
吾輩は猫である。名前はまだない。
これは冗談ではない。
かの有名なビールによって
溺死した猫のような自己紹介です。
名前まだないんですね。
いかにも。別段名前はなくとも困らないがね。
好きなように読んでくれ。
じゃあ、ネコ氏と呼ばせていただきます。
うむ。ところで人間さんよ、そろそろ
何か食べるものが欲しいのだが。
すみません。忘れていました。
カリカリで大丈夫ですよね?
↑これがカリカリです。
↑どんな猫でも虜にすると有名なちゅ~るです。
ちゅ~るが欲しかったのだが…
まぁ、仕方あるまい。
なんだか不服そうだが、これでいいらしい。
なかなかに満足そうに食している。
しゃべる猫って本当にいるんですね。
私、初めて見ましたよ。
うむ、本来ならば、むやみやたらと
喋りかけたりしないのだがな。
人間と同じように喋りだしたら、
我々の愛らしいペットという
立ち位置が揺らいでしまうからなぁ。
ペットの立ち位置ですか。
でも、なんだか“ペット”という言葉を聞くと、
あんまりいい印象がしないように思いませんか?
それは貴殿ら人間が勝手に想像しているからだろうよ。
お前さんは知らないのかもしれないが、
人間と我々動物の関わりは
ものすごーーーーく長い歴史があるのだよ。
大学の授業か何かで
取り上げられていたような気がします。
真面目に聞いていなかったので
あまり覚えていませんが…
その講義は、人類学の一環で、
人間とペットの社会的な関係性に関するものだったと思います。
その講義によると、人間は石器を使っていたような昔から、
動物と共に暮らしていたようです。
そうそう。
ペットというのは元々は野生で
あった動物たちを、人間が
扱いやすいように飼いならし
家畜化させた動物を指すのだ。
犬はおおよそ1万5000年前には、
人間が行う狩りの補助的な役割を任されていた。
一方、猫は古代エジプトの時代から、
愛玩用のペットとして飼われていたり、
ネズミを駆除するために
飼われていたりしていたそうだ。
あー…そんな感じのことを
講義で聞いた覚えがあります。
ペットと家畜は
また感じが違うんですよね。
牛、豚、鶏といった“家畜”は
人間が農耕などのために、
利益の追求を第一目的として、
自分たちに有益な動物を選択して、
繁殖・飼育するんだとか。
その考えで行くと、犬や猫を大量に飼育しても
大きな利益を得られるわけではないからな。
ブリーダーなんかは話が別だが、
農耕目的ではない飼育された
動物をペットと呼ぶのだろう。
さて、昔の人間たちは犬や猫を、
いかにしてペット化したのだろうな?
えぇ~…確かに、昔の犬猫って
今ほど人になついていないですよね。
犬なんて狼でしょ。
そんな危ない奴らに不用意に近づいたら、
秒でエサになっちゃいますね。
う~ん、改めて考えると、ご先祖様達は
どうやって猛獣をペットにしたのか謎です。
自然の中で生活する中で、
人間は野生動物とも折り合いをつけて
生きていく必要性に直面したんだ。
そこで、人間達は動物たちの持つ性質を
利用しようと目論んだのだよ。
このことが、猛獣を家畜化する
プロセスの発端となった。
人間は動物と共生関係を築く生き方を見出したのだ。
確かに、いかに人間が火を扱えたり、
集団で戦えたりしても
自然には敵うわけがないですからね。
自然を取り込むことが、
古代の人類にとって必要だった。
そしてその、自然を取り込んだ結果が、
野生動物との共生に繋がるってことですかね。
そうだな。
野生動物を人間の集団の一員にするのは、
一朝一夕にできることではない。
一般的に野生動物と人間は
同じ言葉を共有することが不可能だからだ。
ネコ氏はどうなるんだろう…
めっちゃ流暢な日本語を扱っているのだが…
釈然としない表情の私を尻目に、ネコ氏は話を続ける。
だから人間は言葉ではない別の方法で、
野生動物との共生を試みたのだ。
それはとても単純なことで、
食事と寝床を用意することだった。
さて、ここで犬と猫がいかにして
人間と共生関係に至ったのか、
詳しく解説して進ぜよう。
ネコ氏どや顔です。
私も気になってきたので、ネコ氏に向き直り話の続きを聞き始めました。
犬と猫が人間と共生関係を結んだ経緯

まずは、犬から話そうか。
先ほども言ったが、犬は
1万5000年前には人間と
共生関係になったことが判明している。
この1万5000年前に
起きたある出来事が、人間と
犬の関係性に変化を与えたのだよ。
ある出来事…
1万5000万年前って、
全く想像がつかないですね…
あ、確かそれくらいの時期に
氷河期が終わったんでしたっけ?
私はリンゴのマークが美しいスマホで、
1万5000年前の出来事を調べます。
1万5000年前付近で、
地球における最後の氷河期「ヴュルム氷期」が
終わったようです。
これによって、地球の温暖化が始まって、
氷河が減って地表が増えたり、
森林の増加が見られたようですね。
そう。森が増えたことで、逆に草原が減ったんだ。これによって草原に住んでいた動物、マンモスやトナカイといった大型哺乳類の一部が絶滅することになってしまったんだよ。
もしかして、犬と人間の関係を変える出来事って、
犬のエサである大型哺乳類が減ったことが要因ですか?
パフンッとネコ氏は可愛らしい肉球で手を叩きました。
そうか、肉球では拍手できないのか。
まさしくその通り!
それに付け加えると、
人が増え狩りの方法が
変化したことも関係している。
犬の祖先といわれている、
タイリクオオカミは地球全体の気候変動と、
人間の増加、狩りの方法の変化によって、
食料確保が困難になってしまったんだ。
そこで彼らは、自分たちの食料を
掻っ攫っていく人間たちの近くを
うろつくようになった。
人間の近くにいれば、彼らの
おこぼれがもらえることを学んだのだ。
そのうちに人間も、オオカミ達が、
優れたコミュニケーション能力だったり、
追跡能力だったり、
自分たちに有益な能力を
持っていることに気が付くわけだ!
犬の有用を確信した人間たちは、
その後多くの犬を確保するために
意図的に繁殖させるようになった。
そして、犬は狩りだけでなく、
番犬や狩猟犬、そり犬に、
牧羊犬などなど、人間たちに
多くの仕事を任されるようになったんだ。
そして、それから長い時間をかけて
利用する関係から、互いに
良き友になっていったんですね。
でも、猫はどうだったんでしょう??
彼らは犬のような協調性も、
従順な性格も持ち合わせていないから、
今のような関係になるのは大変そうですね。
そうだな。我々猫の場合は、
犬とは違った経緯で
人間社会に溶け込んでいった。
人間が猫を飼い始めたのは
犬より少し後の時代だ。
猫が人間の周辺をうろつき始めたのは、
農業が始まった約1万年前だ。
猫は人間が保存している穀物を
エサとするネズミを、捕食するために
人間の集落を生息地にしたんだよ。
猫は自分の利益のために
人間を利用したんですね。
さすがお猫様!!
昔はネズミの駆除には
手を焼いていただろうから、
とても重宝されたでしょうね。
うむ。
猫のハンターとしての腕は
人間を満足させるのに十分だった。
人間たちは犬と同様に猫を保護し、
飼い始めたんだよ。
そして、猫の穀物の守護者としての
役割は長らく続いていった。
ちなみに、未だにイギリスでは
王室所属のネズミ捕り専門の猫がいるんだ。
犬も猫も最初は実用性という
側面が重要視されていたけど、
時代が流れていくにつれて
人間の友人に変わっていったんですね。
そのうち室内飼いが増えだしたことで、
家で飼いやすいように交配された種も
現れ始めて、今に至ると。
そういうことだ。
どうだ、人間と動物の関係は
とても深く長い歴史があるんだ。
少しは我々を見る目が
変わったのではないかね?
そうですね。
ペットと人間の間にこれほど
長い歴史があるもんなんだな、
と感心してしまいました。
犬にも猫にも尊敬の気持ちをもちます。
そうだ!もっと我々を崇め称えるがいいわ!!
すっごく悪役っぽいな…
ネコ氏が語るペット文化

さて、ネコ氏にちゅ~るをお供えしたところ、
大変上機嫌になりました。
するとネコ氏、今度は
ペットの文化についてお話しするようです。
いやはや、ちゅ~るより
美味しいものがこの世にあるのだろうか。
生の魚の方がおいしいと思う…
ところで、君は大学で
文化についての研究をしていたらしいではないか。
そうですよ。
大学で人類学や社会学、
文化論なんかを研究してました。
そうかそうか。
では、ペットを文化的な
側面から見たらどんなことが言えるだろうか。
おぉ…なかなかにめんど…
いえいえ、難しい質問をしてきますね。
文化的にかぁ。
犬にも猫にも童話とか神話とか、
妖怪とかの物語がありますよね。
そういう物語って、地域によって
内容が全く違うと思うんですよ。
それって社会によって
動物の見方が違うってことですよね。
見方が異なるのは、
集団ごとの文化の相違が関係している
ってことなんじゃないか、と思います。
ふむ。確かに。
文化は社会の全体で共有される考えだからな。
猫を例に挙げると、
ヨーロッパ諸国では猫はネズミの脅威から
人間を守るハンターの役割を持っている。
しかし、日本では
ハンターとしての性質は
重要視されておらず、
人間社会に溶け込んだ隣人
くらいにしか思われていない。
全然価値が違うんですよね。アジア圏では猫は妖怪になることもありますからね。

↑猫又。しっぽが二つに分かれたネコチャン。

↑化け猫。猫又とは違うらしいですよ。
猫又とか、化け猫とか、
人に危害を加える存在になることもあります。
ヨーロッパとアジアでは生活様式とか
社会そのものが全然違うものだから、
猫に対する考えが違うんでしょうね。
きっとこれは猫に
限ったことではないでしょう。
人間の社会の中を生息地としている以上、
人間の文化の一部品に
なることは自明のことなのだ。
ペットの持つ文化的な性質も、
社会が変化するごとに変化していく。
そうですね。
社会変容によって文化も
変化していきます。
社会が文化を作っているから
このようなことが起きるんだとか。
現代社会における、
ペットの役割はどのようなものだろうか。
現代では、かつてのように
ペットに実用性を求めていない。
では、ペットの役割は
なくなってしまったのか?
お前はどう考える?
いやー。
ペットの役割は
なくなってはいないでしょう。
社会が発展することによって、
ペットが彼らの持つ能力を
行使する機会はなくなりました。
だから、人間は別の価値を
ペットに見出したのではないでしょうか。
愛玩用とか、
生きていく上でのパートナーとか。
他には、ペットの持つ金銭的な価値も
重要視されているだろう。
血統書付きの動物を飼うことで、
自分のステータスとしている
人間も少なくないな。
特に昨今では、インスタやSNSに
いい感じの写真を投稿するためだけに、
見た目の良いペットを飼っている者もいる。
そーゆう人たちを
全否定するわけではないですけど、
なんだか飼われている
動物が可哀想に思えてきます。
ペットの写真で「いいね!」が
稼げなくなったら、そのペットは
用なしってことですもん。
そのような奴らは生き物を
飼う資格はないと思うのだがな。
さて、話が逸れたが、
現代のペット文化には、
社会的な役割が付与されている
ということになるのだろう。
人間の家族としての役割や、
承認欲求を満たすための役割が求められている。
そうですね。もしかしたら、
現代ではペットに対して、
人間性を求めているのかもしれません。
ほう。人間性か。
言われてみればそうかもしれない。
多くのペットを飼っている人は
ペットを自身の家族のように扱っている。
これから飼うことを検討している人も、
家族が一人増えるような感覚でいるだろう。
そして、ペットを飼っている人は大体、
ペットに話しかける。
まるで人間に話をするかの如く話しかける。
これこそ、ペットに対して
人格を見出していることの
表れなのかもしれない。
現代って、人間同士の距離感が近いようで
すごく遠くなっちゃったんですよね。
インターネットの普及によって、
ネットの世界でいつでもどこでも
人と関わることができるようになったけど、
リアルの世界では一人一人が
どんどん孤立していっています。
そんなリアルで孤独になっていく人にとって、
ペットはネットでは関わることができません。
孤独な現代人にとってペットが
唯一のリアルな存在になっているのでしょう。
どれだけVRやARを駆使しても、
生身の動物の体温は再現できないからな。
ペットの暖かさだけは、
リアルで体感するしかない。
人間は人間同士の社会の中でしか生きていけないが、それを放棄してバーチャルな人間関係を築こうとする。しかし、それでは孤独感は埋まらないのだ。だから、身近にいるリアルな存在に、人間性をトレースしてまるで人間のように扱って、孤独を埋めているのだ。おそらく現代のペット文化は、「孤独を埋める」ことを目的として成り立っている。
アニマロイドは電気ネズミの夢を見るか

ロボットのペットって一昔前に流行りましたよね。
SONYが発売していた「アイボ」
って名前の犬のロボットなんですけど。
↑アイボ。昔はもっとおもちゃっぽかった
↑昔のアイボ。正確には「アイボ」ではなく「プーチ」というそうです。
懐かしいなアイボ!
確か初期型のサービスが終了した後に、
新型が発売されていたな。
動きもより本物に近くなっている上に、
コンピュータの性能も向上しているから
今までできなかった、顔認証や、
部屋の形状を記憶するなんてことも
できるようになったそうだ。
すごいですよね!
アンドロイドの製造だけでなく、
ペットロボの製造も着実に発展しています。
そのうち、AIを搭載した
完全なアニマロイドも
完成するんだろうな!
そしたらぜひとも
ドラえもんを作ってほしい!!!
おそらく遠い未来ではないだろうな。
人間のAIより先に、社会に
導入されるのではないだろうか。
人間のAIは倫理的な問題が複雑だが、
動物ならそこまでハードルは高くない。
そうですね。
もし、アニマロイドが社会に普及したら、
生身のペットの価値はどうなるんでしょう。
生身のほうがいいという人は、
必ず一定数いると思うんですよね。
そうだろうな。
最初はアニマロイドのほうが
価値が高いのだろうが、
いずれ生身のペットのほうが
貴重な存在になってくるだろう。
もっと未来では、生身の動物を
飼うことはできなくなってしまうかもしれないな。
今でも動物愛護の観点から、
「ペットを飼う」ということを
疑問視する人は少なからずいますからね。
現役猫である吾輩からしたら、
ロボットではなく生身の我々を
末永く可愛がって欲しいのだがな。
そうですよね。
ネコ氏おなかモフモフですね。
ネコと暮らすということ

ネコ氏との生活はなかなか悪くないものです。
最初はどうなることかと思いましたけど…
喋る猫なんて特殊すぎますが、
慣れればどうということはありません。
ずいぶん長くなってしまいましたが、
ここらへんでネコ氏との会話記録を終了しようと思います。
きっとこれからもネコ氏と
いろんな話をするのでしょう。
別のお話がまとまったら、
また皆さんに聞いていただきたいな、
なーんて思っています。
ペットの癒し効果はすごいですよね。