タピオカ発祥の地は台湾?元々は奴隷用の食料だった!!ルーツや歴史をまとめました

 

こんにちは、ロジャーです

今回は読者さんのお話をシェアします。

 

今回のテーマは、

ここ最近、
定期的にブームが訪れるタピオカです。

 

こういう身近にあるものでも
歴史を辿ると結構、面白いですね〜

 

タピオカっていう商売自体がテンプレ化していて
ビジネス的観点から見ても、
始めやすい事業なんでしょうね。

俺がタピオカ屋やるんだったら
テンプレ化したタピオカビジネスを
ぶっ壊して、風穴を開けてやりてえ。

って感じですけどね

 

では、ここからは読者さんのお話です。

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「人に歴史あり」と言いますね。

どんな人にも、人生が顔に滲んでいないようなやつにも
歴史はあるものです。濃いか薄いかは別として。

タピオカにもちゃんとした歴史があります。

 

原料のキャッサバイモまで遡ると、
1万年前というとんでもねぇご長寿ぶりで、
本一冊したためられちゃいそうなので、

社会で認知され始めたあたりからざっくりと解説していきます。

 

キャッサバイモは元々奴隷用の食料だった

最初に、社会的に食料としての有用性が認められて、
主食と扱われていたのは15世紀末のことです。

 

その時、食していたのは
キャッサバイモの原産地である南アメリカ北部、
中央アメリカ南部、西インド諸島の人々でした。

 

時が流れ、17世紀になるとポルトガル、
スペインなどの欧州列強諸国が奴隷貿易を開始します。

 

世界を開拓するために、
彼らはアフリカから新大陸へ奴隷を送り込むのでした。

当時、移動はすべて帆船です。
移動には月単位の時間がかかり、
移動時の一番の問題は食料でした。

 

特に奴隷用の食糧問題に頭を抱えていたようです。

移動期間の食糧危機の改善に一役買ったのが、
キャッサバイモだったのです!

当時、輸送先のアメリカ大陸で広く
食されていたキャッサバイモを、ポルトガル、
スペインが奴隷用の食料として採用したのでした。

 

人の移動に乗じて、
キャッサバイモも世界中に伝播することになりました。

 

16世紀に持ち込まれて以来、
西アフリカの一部ではトウモロコシに次ぐ
主食として大活躍しています。

 

食べ方にも様々なバリエーションがあるようで、
お餅みたいにしたり、揚げ団子風にしたりと、
正にソウルフードといった使われ方です。

(お餅状のキャッサバは食べてみたいものです。
 みたらし団子風に食したい。)

タピオカスタイルで食され始める

南米から流れ流れて、
19世紀頃には東南アジアまでキャッサバの栽培は広まりました。

しかし、東南アジアでは全く普及せず、
食され始めたのは第二次世界大戦中だったようです。

戦時中の食糧難から、致し方なくキャッサバを食べ始めました。

当然、いい印象があるはずもなく、
東南アジアはインドネシアでは
「下等な食べ物」とまで言われる始末。

そのため、乾燥させたり、
発酵させたり、加工して食すそうです。

 

その加工方法の中で、
最も人気があったのがタピオカへの加工でした。

モチモチした触感で増粘剤として利用されたり、
ココナッツミルクと混ぜてスイーツとして食べられています。

 

これが、現在のタピオカミルクティーの原型です。

 

タピオカ、中華圏へ進出したってよ

タピオカを用いたスイーツは、
中華圏まで到達します。

 

そこでは食後のデザートとして人気が出ました。

キャッサバイモは大量に収穫ができるうえ、
それを粉にしてさらに粒へ、
というようにタピオカは大量生産可能なのです。

 

これによって原材料が安くなります。

お財布への優しさによって、
料理店だけでなく家庭にもタピオカが普及しました。

人気を広める要因として、低コスト以外にも、
料理にした時の見栄えの良さ、触感の独特さがあります。

 

どれも、現在タピオカが人気になっている理由と同様です。

 

中華圏へ進出したのち、台湾にたどり着きました。

 

そして、1980年代に
台湾で最初の「タピオカティー」が誕生します。

現在では「タピオカティー=台湾」と言われるほど、
タピオカティーは台湾を象徴する飲み物です。

もともと、
台湾にはタピオカを
「粉圓(フンユエン)」
というお菓子として食べる習慣があり、
その下地があるからこそ、
タピオカティーの人気を後押ししたのでしょう。

 

タピオカティー誕生物語 〜発祥の地 台湾〜

タピオカティーは台湾のある店舗が元祖です。
しかし、元祖にはいくつかの説があり、
現在でもはっきりしたことは分かっていません。

台中市の「春水堂(チュンスイタン)」説

春水堂は東京でも、
毎日行列ができるほどの大人気店です。

1983年に台湾の台中市が発祥で、現在でも
台湾の国民的人気店として君臨しています。

実は、春水堂はタピオカティーだけでなく、
台湾における新時代の中国茶を
発明したインフルエンサーでもあるのです。

台湾には、
「お茶は暖かいもの」という文化があります。

 

ある日、日本を訪れた創業者の劉漢介氏は、
「冷たいお茶」を飲んで衝撃を受けたのでした!

 

「これ、台湾でもウケるのでは・・・?」
ということで、

台湾でも冷たいお茶を提供したところ、
大ヒットを得て春水堂は一躍大人気店へと成長します。

 

創業から4年後の1987年、
春水堂の商品開発担当だった林秀慧氏は
新たな商品を考えていました。

 

冷たいお茶以上のヒット商品を考えねばならず、
当時20代だった彼は苦労したことでしょう。

 

林氏はある日、子供のころに食べた
タピオカのおやつ「粉圓(フンユエン)」を
ミルクティーとレモンティーに混ぜてみたのです。

すると…ただのミルクティーとレモンティーが
カラフルで、食感まで楽しめる!
これまでにないお茶に生まれ変わったのでした!

これが、
春水堂版タピオカティーの誕生秘話だと言われています。

台南市の「翰林茶館」

タピオカティー誕生秘話のもう一説が、
台湾の台南市にある「翰林茶館」という
お茶屋さんの創業者である涂宗和氏が作り出したというものです。

 

春水堂のような経緯は不明ですが、涂氏はある日

「白い粉圓(フンユエン)を
 お茶に入れたらおいしいんじゃね???」

と思い付き、白い粉圓(フンユエン)入りの
お茶を
「真珠茶」として発売しました。

 

これがウケて、
台湾全土に広まったという説もあります。

どちらが発祥だろうがタピオカは台湾人のソウルフード

 

一時は、春水堂と翰林茶館が発祥地と
特許を主張し、争っていましたが結局両者とも
主張が認められることはありませんでした。

一度産声をあげたタピオカティーは
瞬く間に台湾全土に普及していきます。

90年代になると、台湾の至る所で
タピオカティーを目にするようになったのでした。

 

完全に食文化として根付いたタピオカティーは、
さらに
「片手にはタピオカティー文化」を生んだのです。

 

世界中で大人気のタピオカ

日本のみならず、現在
タピオカは世界中で人気を博しています。

韓国やタイ、フィリピンなどの
アジア圏を飛び出して、アメリカやパリなど
欧米、欧州にもタピオカ人気は普及しているのです。

 

人気の背景には2010年以降、台湾企業が
次々と海外進出に乗り出していることが考えられます。

 

特に多く進出しているのはアジア圏ですが、
日本でも有名なGong Chaはアメリカ、カナダ、
オーストラリア、ニュージーランドにも多く進出しています。

 

Gong Chaの店舗数は今や
世界で1400店舗以上もあるそうです。

 

他にも、イギリスやフランスなどの
ヨーロッパ諸国に進出した企業、

カタール、オマーン、クウェートなどの
アラブ圏にも進出企業など、

タピオカは世界征服でもしたいのか、
というぐらい世界中に広まっています。

 

このタピオカの急成長は、2010年以降から
ここ10年の間に起こっています。

 

なぜ、これほどの
急成長を遂げたのでしょう??

 

考えられるのは、
企業の徹底したマニュアル主義と、
世界的に
健康食が盛り上がりを見せていることです。

 

タピオカのお店を作るに際しての内装は、
どれも同じような物でシンプルに
統一されていて量産しやすいです。

 

また、タピオカのレシピも
複雑なものではありません。

ゆでてドリンクに入れる、それだけです。

 

店舗を世界中に
コピーアンドペーストしやすいことが、
急速な世界進出を可能にしています。

 

また、近年アメリカ・ヨーロッパ圏では近年、
お茶などの健康志向の高い食品が重宝される傾向にあり、
タピオカの人気が出たのも、
健康志向の高まりが要因と考えられます。

 

タピオカドリンクも中国茶で作られることから、
健康食として人気が出たのでしょう。

 

タピオカは海外では、バブルティーや
ボバティー、パールティーなどと呼ばれ
親しまれています。

 

実は、“タピオカ”と呼ぶのは
日本ぐらいなのだそう。

 

バブルティーと呼ばれることが多いようです。

私は“タピオカ”のほうが、
得体の知れない感があって好きですけどね!

 

余談ですが

タピオカティーが生まれるきっかけとなった、
フンユエンを調べてみたところ、
見た目は完全に水で戻したタピオカで、

じめっと蒸し暑い台湾の夏の定番スイーツとして
愛されているようです。

 

台湾旅行の際はご賞味あれ!

 

タピオカは世界に根付こうとしている

タピオカは世界中に発信され、
今やその人気は世界規模です。

 

最初は「下等な食べ物」とまで言われ
不憫な存在だったタピオカも、
スイーツとして利用され始めてから、
その評価は変化していきました。

台湾で、お茶と組み合わせるという
奇跡の組み合わせが発明されたことで、
飲み物としての確固たる地位を得たのです。

 

日本での人気は言うまでもありませんが、
海外での人気はまだまだ未知数です。

 

このまま人気が続くかもしれませんし、
現状の形にさらなる改良が加えられて、
また違う飲み物として生まれ変わる可能性も十分に考えられるでしょう。

 

もしタピオカが進化して、タピオカデラックスみたいな
おにぎりサイズになっちゃったら面白いですね(笑)

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1 個のコメント

  • 何事も歴史を知るのは面白いですね。
    奴隷の食糧不足で一躍かってたタピオカが
    今は若者を中心に、こんなにも流行っているのだから
    おもしろいです。

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