こんにちは、ロジャーです。
今回は、超有名ビジネス書
7つの習慣の第2の習慣である、
終わりを思い描くことから始める
について、詳しく解説していきます。
目次
終わりを思い描くことから始める
突然ですが、自分の人生の
最期を迎える時、何か残したいことはありますか?
自分の葬式を思い描いて考えてみようと
7つの習慣では説いています。
どういうことかというと、
あなたの家族や、愛している人、
友人、仕事仲間、お世話になった人たち、
今まで出会ってきた人たちが
自分の葬儀に参列している場面をイメージして、
その周囲の人たちから
どんな風に、思われていたいか?
どんな人間だったと言われたいか?
その人たちに自分の何を残したい?
例えば、金や資産などの富。
莫大な遺産を家族に残したい
と思う人もいるかもしれない。
あるいは、名声や功績も残せますね。
「いや〜あいつはすげー奴だった。」と
友人や周囲の人間に、
認められたい人もいるかもしれない。
このように、
終わりを思い描くことによって
自分の人生における全ての行動の指針にするべき
と7つの習慣では述べられています。
これは、金持ちの人と話してみると
この重要性がよくわかります。
俺は
自分でビジネスをやって生活しているので
普段から関わる人も金持ちが多いんですが、
資産1億超えの経営者だったり、
年収9000万の物販会社経営者だったり、
年商数十億レベルのビジネスオーナーとか。
一般的な感覚から、
逸脱したレベルの金持ちたちと話してみると、
成功している人の多くが、
金のために生きていない
というのがよくわかります。
結局、金ってのは道具でしかないので
生きる目的にはならないのです。
成功し続けている人ほど
それぞれ自分に明確な目的を持っています。
事業を立ち上げるのに燃える人もいれば、
経営者を育成するのに燃える人もいれば、
日本をもっと良くするために燃える人もいます。
この根本にあるのは
終わりを思い描いているからことですね。
この終わりを思い描いていないと、
仮に、金持ちになったとしても
幸せになれるわけじゃない。
むしろ、何の為に
金を稼いでいるのかがわからなくなって
途方に暮れてしまいます。
だからこそ、7つの習慣では
第2の習慣として
「終わりを思い描くことから始める」を
提唱しているのだと俺は考えています。
では、その「終わり」は
どうやって思い描くことができるのか?
次項からは
その部分を解説していきます。
知的創造、物的創造
7つの習慣にて、
終わりを思い描くことから始めるという考えは
すべてのものは二度つくられる
という原則に基づいていると述べられています。
この「二度つくられる」とは
どういう意味かというと、
第1の創造が、知的創造。
まずは頭の中でゴールを設定し、
イメージしたり、脳内で設計する。
第2の創造が、物的創造。
脳内でイメージされたものを
実現するということです。
ここで大事なのは
第2の創造だけじゃなく、
第1の創造も自分で責任を持つ
ということです。
他人が敷いた人生のレール
第1の創造は
自分以外の人の影響を受けることがあります。
具体的に言えば、
幼い頃から教え込まれてきた価値観や
親の言いつけ、上司からの押し付けの思考などです。
書籍では、このような自分以外からの影響を
他人が描いた脚本という表現がされています。
これは非常に大事ところですね。
第1の創造は、人にコントロールされるのではなく、
自分で責任を持ってやる必要がある、
すなわち
第1の習慣である
「主体性を発揮する」ポイントです。
わかりやすく、
俺の失敗経験を具体例として紹介します。
俺の親は
自動車の整備士をしていました。
なので、
息子の俺が自動車メーカーに
就職すれば親も喜ぶんじゃね?と
就活をしていた頃に考えていました。
これも、自然と親から影響を受け
無意識的に、親が望んでいそうな道、
親が描いた脚本の通りに行動してしまったのです。
そして、俺は
見事に痛い目を見ました。
自動車メーカーの職場環境や
人間関係が合わず、ストレスも抱え込み
うつ病になりました。
自分が思い描く終わりというのが
自動車メーカーでしか成し遂げられないものであれば
きっと俺は仕事も進んで出来ただろうし、
うつ病になんかならなかった。
この俺自身の事例からもわかるように、
第1の創造、知的創造は
周囲の人の価値観や、求めていること、
他人が描いた脚本に支配されてはいけない
自分の人生の脚本を書くのは、
自分である。
ということですね。
ミッションステートメントとは?
結論から言えば、
「ミッションステートメント」とは、
信条や理念を示したものです。
社訓や、企業理念などをイメージすると
わかりやすいかと思います。
7つの習慣では、
会社などの組織だけではなく、
自分という一個人であっても
このミッションステートメントを
書き出すことが推奨されています。
自分のための、自分の憲法ですね。
このミッションステートメントを決める前に
注意しなければならないことがあるので
次項で解説していきます。
何を中心に生きてる? 原則を中心に据える
このミッションステートメントを定める前に
今までの自分が
何を中心に生きてきたのか?を考え、
自身を振り返ることで、
自分を抑え付けてきた要因がないか?を振り返ります。
書籍上で挙げられている
人間の中心におかれやすい要素は以下のものです。
- 配偶者
- 家族
- お金
- 仕事
- 所有物
- 娯楽
- 友人
- 敵
- 教会
- 自己
では、例えば、
家族中心だったらどうなるのか?
家族の期待に答えることで心の安定を図り、
自分の目標や夢は親の意向に大きく左右され、
家族や親族のルールに従って行動しようとする。
仕事中心だったらどうなるか?
自分が勤めている会社、
あるいは職業で自分の価値を決めてしまう、
仕事に必要かどうか?会社に求めているか?で
自分の意思を決定してしまう、
上司の意見や、会社のルールによって行動が制約される。
このように、
今まで自分の中心においてきた要素によっては
自分の行動や意思、可能性を
抑え込んでいる可能性があるのです。
ここで出てくるのは「原則」です。
7つの習慣における原則については
こちらの記事で詳しく解説しています。
簡単に言えば、
原則=不変の決まりごと
不変で、安定しているからこそ
自分の中心に据えるのは原則であるべき
と7つの習慣では述べられています。
これが「原則中心」
従って、前述した自分の中の憲法である
ミッションステートメントは
原則を中心としたパラダイムを持って
(パラダイム=物事の見え方、捉え方)
決めていく、そして適宜修正をしていく必要があります。
ここで
「原則を中心としたパラダイム」を理解するために
具体的事例を考えてみましょう。
例えば
今日は大切な恋人の誕生日です。
今晩は、その恋人と19時から
ディナーを楽しむ予定が入っています。
なので、自分は
定時で仕事を切り上げるつもりでいます。
しかし、突然上司に呼び出され、
緊急で明日、重要な会議をすることになり
上司からその会議の準備を頼まれました。
こんな状況になったら
どんなことを感じて、どう行動しますか?
恋人を中心のパラダイムを持つ人は
仕事を頼まれても断るかもしれません。
お金を中心のパラダイムを持つ人は
残業代がいくらになるのか計算するかもしれない。
仕事を中心のパラダイムを持つ人は
この残業が昇格へのチャンスだ!と考える人もいるでしょう。
もしこれが原則中心の生き方をしている人ならば
仕事、恋人、お金etc
その状況で考えるべき事情の全体をバランスを取って
代替え案や、解決方法を模索しようとするし、
ディナーに行こうが、残業しようが、
はたまた第3の代替え案を選択しても
原則を中心にしている人は
状況や他人に影響を受けて行動を決定しないので
自身の選択に納得しているということです。
ミッションステートメントを書き出してみる。
では一つの例として、
俺が原則を中心に据えて決めた
ミッションステートメントをお話します。
正直、
このミッションステートメントは
一朝一夕で出来上がるものではないですし、
生きているうちに、少しづつ変化や
軌道修正をしていくこともあるかもしれませんので
現時点での俺のミッションステートメントを書いておきます。
どんな人間になりたいか?
何をしたいか?
これを考えたときに、
これまでの経験や、自分を見つめ直した結果
俺は、
人を感動させる“モノ”が作りたい。
人を感動させられることをやりたい。
びっくり箱のような面白え人間になりたい。
そう思いました。
この言葉に込められた思いは
こちらの記事に書いてあります↓
このミッションステートメントは、
周囲の人間から批判されようと
違う価値観を押し付けられようと
変わることのない、原則中心のミッションです。
このミッションを達成するためなら
自分は主体性を発揮できる!!!
そう思ったからこそ、
自分の考えや意思によって
第1の創造(知的創造)で定めたことです。
この記事では、
ミッションステートメントとは何か?
原則中心とは何か?
そこについては詳しく解説してきました。
ですが、読んで頂いている方の
ミッションステートメントは
俺の価値観や考えを押し付けるわけにはいきません。
自分で生み出さなければ、それは
ミッションステートメントではないからです。
先ほども言いましたが、
一朝一夕で出てくるものではありません。
俺も、本当に色々なことがあって
やっと導き出したものです。
その導き出すまでの過程は
こちらの記事を読んで頂ければと思います。
ちょっと難しかったです。
でも、とりあえず
自分で責任を持って、終わりを想像してみようと思いました。